信楽ACT2009

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杉山泰平

杉山泰平

陶芸  展示場所: 丸倍
 

  • 1962 大阪生まれ
  • 1985 大阪芸術大学工芸学科陶芸専攻中退
  • 1987 イタリア国立ファエンツァ美術陶芸学校卒業
  • 個展、グループ展 多数

色鉛筆やクレパスで草花だとか畑や森の風景だとかをスケッチブックに写生するのが好きな母でした。
天気の良い日はいつも私と一つ違いの弟をつれて野道をぶらぶら歩いて段々畑のあるあたりの手頃な土手に腰掛けて
遠く大阪平野をぼんやり眺めて、フ〜っと一呼吸入れてからスケッチに取りかかる。
まだ幼かった私達はそんな母の傍らで、これまた母と同じ様にクレヨンを手にお絵描き(すぐに飽きてしまうのですが)。
そんな時に私が決まって描いていたのはなぜか富士山だったたなぁと・・あっ・ウルトラマンも。

母はスケッチが終わると必ず私達のめった描きのノートに一通り目を通してから『さぁ 帰ろかぁ』。
私達はまた母に連れられて野道をぶらぶらと帰ったのを覚えてます。

それから何年かが過ぎて 小学生の頃弟が水の事故で亡くなりました。
皆が固唾をのんで見つめる池の水面に大人に抱きかかえられた弟の頭が現れた時
母が気を失った情景が今でも私の記憶に焼き付いています。

その日からの消え入るようにも見える母の人生があります。

毎日欠かさず弟の分の食事を作り 枕元に経本と弟の位牌をおいて寝て 毎週末どこかの宗教団体の集会に出かけていました。
頑固な母は父をはじめ周囲の言を聞き入れず そんな毎日を貫き通しました。
でも時々 隠すように絵を描いていたのを私は知っていましたが・・なぜ隠すのか?
そして今から八年前に母は亡くなりました。
夜中に枕元の経本と位牌をたぐり寄せたのでしょう 大事に、うずくまる様に抱きかかえて・・。

私の個人的な事を記してしまい申し訳ありません。
只 最近よく『結末』について考えたりします。
そんな時によく母の事を思い出すものですから・・・・ごめんなさい。

杉山泰平 作品

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